未到
森有礼
もりありのり
mori arinori
略歴
薩摩藩出身の啓蒙思想家にして初代文部大臣。幕末に長州の井上勝らと同様に藩からイギリスへ留学し、さらにアメリカにも渡って欧米の文明を深く吸収した。帰国後は森羅万象を論じる啓蒙結社・明六社の設立に加わり、外交官としても活躍。近代化への信念は徹底しており、英語を国語に採用すべしとする「英語国語化論」を唱えたことでも知られる。第一次伊藤内閣で初代文部大臣に就任すると、小学校令・中学校令・帝国大学令・師範学校令からなる一連の学校令を公布し、国家の柱としての近代教育制度を確立した。商業教育の重要性を説いて一橋大学の前身となる商法講習所の育成にも尽くした。しかし急進的な欧化主義は反発も招き、明治22年、大日本帝国憲法発布式典のその日に、伊勢神宮への不敬を疑った国粋主義者に刺され、翌日43歳で世を去った。
未到