未到
乃木希典
のぎまれすけ
nogi maresuke
略歴
長州藩の下級武士の家に生まれた陸軍軍人で、明治日本を代表する武人として知られる。若い頃は放蕩に流れた時期もあったが、山県有朋に見出され軍人の道を歩み、西南戦争では連隊旗を敵に奪われる痛恨を経験し、その悔恨を生涯背負ったといわれる。日清戦争を経て、日露戦争では第3軍司令官として難攻不落の旅順要塞攻略を担当。二〇三高地をめぐる激戦で膨大な死傷者を出し、自らの二人の息子をも戦場で失いながら、ついに要塞を陥落させた。乃木の指揮には批判も多いが、多くの将兵を死なせたことへの深い自責と、敵将ステッセルに礼を尽くした水師営の会見は、清廉な武人として世に伝えられた。晩年は学習院院長として乃木希典は少年教育に心を注ぎ、質素と克己を説いた。1912年、明治天皇の大喪の日に妻静子とともに自刃して殉死し、その死は明治という時代の終わりを象徴する出来事として国内外に大きな衝撃を与えた。東京の乃木神社に祀られている。
未到