未到
清水次郎長
しみずのじろちょう
shimizu no jirocho
略歴
駿河国清水湊を本拠とした幕末・明治の博徒であり侠客で、講談や浪曲の題材として絶大な人気を誇った人物。本名は山本長五郎。若い頃から荒くれ者として名を上げ、賭場を仕切りながら東海道一帯に勢力を張り、大政・小政ら「清水二十八人衆」と呼ばれる子分を従えて、荒神山の血闘など数々の出入りを繰り広げたと伝わり、その武勇伝が講談師によって大いに脚色され語り継がれた。しかし単なる無頼の徒にとどまらず、戊辰戦争後には旧幕府の軍艦咸臨丸が清水沖で新政府軍に撃沈され、放置された乗組員の遺体を、賊軍のものだからと誰も手を出さぬなか、榎本武揚らの意を受けて手厚く葬ったという逸話が知られ、その義侠心が語り草となった。維新後は富士山麓の開墾や英語教育、船宿経営など地域の産業振興にも尽力し、明治の世を生き抜いて七十代半ばで没した。
未到