未到
高橋紹運
たかはしじょううん
takahashi joun
略歴
戦国時代の筑前の武将で、豊後の大友宗麟に仕えた重臣。もとは大友氏の家臣吉弘氏の出で、豊後の名門高橋家を継ぎ、大友氏の北九州支配を支える要となった。誠実で剛毅な人柄と武勇で知られ、大友四天王の一人に数えられる。実子は後に「西国無双」と称された立花宗茂で、宗茂を戸次道雪の養子に出し、自らは大友家の柱として奮戦した。大友氏が耳川の戦いで島津氏に大敗して衰退すると、九州統一を目指す島津軍が北上する。1586年、紹運は筑前岩屋城に籠もり、五万ともいわれる島津の大軍を前に、降伏の勧告を退けてわずか七百六十三人で立てこもった。半月にわたり激しく抗戦して島津方に多大な損害を与えたが、ついに城は落ち、紹運以下全員が玉砕したと伝わる。その壮絶な最期は敵味方を問わず賞賛され、主君への忠義を貫いた武将の鑑として後世に語り継がれた。
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