若狭小浜藩の出身で、江戸に出て儒学を修めた学者。尊皇攘夷派の急先鋒として活発に活動し、志士たちの結節点となって幕政批判の運動を広げた。安政の大獄が始まると、その中心人物として真っ先に捕縛され、江戸に送られて厳しい取り調べを受けたが、判決を待たぬまま安政六年(1859)、獄中で病死した。大獄の犠牲となった志士の先駆けの一人として記憶される。